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シンポジウム 

最上小国川の真の治水を求めて 2006年10月28日

パネルディスカッション「本当に必要な公共事業をおこなうために」 

天野礼子

 まずはじめにここにいらっしゃる菅直人さんと五十嵐先生との関係についてお話をしますが、五十嵐先生は、弁護士の中でも、都市計画の専門にされていたので、東京大学とか、法政大学の都市計画のゼミがあるわけです。もともとは、都市計画だったのだけれども、ダム問題にも発言をされることになったわけです。

 私が、お二人を知る前に五十嵐先生と菅直人さんは都市計画について法律をつくるということをしてらっしゃんたんです。五十嵐先生は、市民が公共事業、都市計画に反対するならば、きちんと法律をかえなければならないということを考えていたお一人でした。そして菅直人さんという方は、社民連という小さな政党でもきらりと光って政策をつくりあげてきたお一人です。
  法律をつくる戦友だったわけです。その戦友が、いつのまにか、お二人とも私にひっぱりこまれて公共事業の現地を歩いていらっしゃることになりました。たとえば、1995年に、私が運動していた長良川河口堰のゲートがおりたんですけれども、あまりにも、長良川河口堰の運動が大きかったので、97年11月に河川法というのが改正されることになりました。そのときの建設大臣は、亀井静香さんでありました。その亀井さんが、河川法を改正するというときに、五十嵐さんと、菅直人さんに、「河川法対抗案」というのをおつくりになりました。
 また、お二人は、1997年11月の衆議院建設委員会に、「河川法対抗案」とともに「公共事業コントロール法案」をだされたわけです。どちらも少数で廃案になったわけですけれどもお二人は、河川法を改正したり公共事業コントロール法案を通じて、公共事業のあり方をかえようと戦ってきたお二人ということです。
 そして、2000年には民主党に「公共事業を国民の手にとりもどす委員会」というものがつくられました。その際菅さんが幹事長で、鳩山さんが、代表でありました。鳩山さんが、公共事業の事を教えてくださいと私にいわれて、「国民の手に公共事業をとりもどす委員会」というものができたのです。なぜ、国民の手に公共事業をとりもどさねばならないのでしょうか。それは政治が公共事業を、手にもっているからではないでしょうか。
 私が、昨年、山形県のこの最上小国川に予定されているダム計画について、ちょっと知り合いの役人の言葉を聞いて、田中康夫さんという人が、「脱ダム宣言」で発言されている言葉を聞いて、多目的ダムの図式というのが、いかに地方の役人を魅了してきたかというのを知りました。

 すなわち、脱ダム宣言をよみます

「脱ダム」宣言
 数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過(かんか)し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。更には何れ(いずれ)造り替えねばならず、その間に夥(おびただ)しい分量の堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円を用いて処理する事態も生じる。利水・治水等複数の効用を齎す(もたらす)とされる多目的ダム建設事業は、その主体が地元自治体であろうとも、半額を国が負担する。残り50%は県費。95%に関しては起債即ち借金が認められ、その償還時にも交付税措置で66%は国が面倒を見てくれる。詰(つ)まり、ダム建設費用全体の約80%が国庫負担。然(さ)れど、国からの手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダム建設を選択すべきではない。
 縦(よ)しんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。 これが脱ダム宣言です。

 で、さきほどのお役人との一幕なんですけれども、比較的正直で良心的かもしれないその役人は、「なぜ小国川ダムをつくりたいのか」と問う私に、「私たちは危険な堤防を直すために予算をやりくりするのですが、1000万円の予算を一つとってくるにも大変な苦労をします。しかしダムを引き受けると、国交省河川局さんには「引き出し」がいっぱいあって、「県は3割負担」といいますが実際は1割の負担で工事ができるのです。だから県は、ダム計画を推進したいのです。私は、いいました「小国川ダムはおよそいくらかかりますか」するとその役人は、130億円ぐらいですと応えました。「その1割といえば13億円ですよね。1000万円の捻出も苦労する県がどのようにして13億円をつくるのですか。
 これには返事がなかった。というのはこの本に載っているわけですけれども、
さて、菅直人さんは、私の反対していた長良川河口堰の反対運動を応援してくださった。それからその次には川辺川問題。また、諫早湾干潟の問題にも一貫して反対をし、国会で質問をしてくれました。なぜ、政治家として動かれたのですか。

菅直人

一言、ごあいさつをしなければいけないのですが、今日は、このシンポジウムの事は、随分前にお話をいただいて、あぶないなと思いながら、大体天野さんの言うことを聞いてこういうとことへいくと、結果としては私にとって勉強になるし、いろんなことが実感できるということでお誘いを断らないでおりまして、やってこいということで今日、やってまいりました。改めて、3人の方の基調講演を聞かせて頂きまして、最近選挙の事ばかり考えていたところが、なんとなく頭の中がすっきりしてきたかなという感じもしています。

 今、五十嵐先生と私の縁も紹介していただきましたが、だいぶ前になりますけれども都市計画法改正案というのを国会でだす経緯がありまして、そのあたり、あるいはその前から、ある種の戦友のようなものでありますが、大体はいろんなことを教えて頂いている私がお二人の弟子みたいなもんであります。
 そこで、天野さんの指摘についていいますとですね。私も、いろんな切り口があるんですけれど、現場を一緒にいろいろみる中で、なんでこんな事がですね、あれだけ優秀とされる、頭がいいとされる霞ヶ関の官僚の皆さんがなぜ、考え方を改めないのかと、当初は不思議に思っておりました。しかし、ある段階から、逆にいうと良くわかったんですね。 ちょっと切り口はあれですが、ふつう、民間の方は100万円で買える機械を、50万円で値切ったら、上役に「君はなかなかいい仕事したな」といわれると思うんです。しかし、もし国交省のお役人が100億円でできる工事をですね、50億円でやってしまったら、上司に「おい、めちゃくちゃな事をやってくれたな。100億の予算がとれなくなったじゃないかといわれるわけです。役所というところは、お金がつかえればつかえるほど、権限が大きくなるんです。それが無駄であるとかないとかというのは、自分達が判断するのですから誰も無駄とは言われません。ですから基本的にですね。役所のお金の使い方というのは、つまり、ふつうの皆さん、あるいは民間の感覚でなるべくいいものを安くつくろうなどということにはなっていないのです。私も長野県の河上村の村長にお会いしたことがあるんですが、舗場整備もそうですね。9割は構造改善局というこころから補助金がでる。だからやってくれ と。村長によりますと、農林省がやるやり方で、1割村が負担するその負担金よりも、自分たちでやった方が安くできるし、かつその事業を村の仕事としてやることができる。と、現実に、舗場整備の現場も私も見てきましたが、こういうことが、この5年10年かなりはっきりしてきたと思います。
 私も河川局と1年生議員のことでしたか、何度か聞いたことがあります。で、いろいろ、何百年に一回とかちがう説明はあってですね。私もほんとかなと思って怪訝そうな顔をして質問しますと、「もし、洪水で犠牲がでたら、先生は責任をとっていただけますか?」などという応えがかえってくる。政治家というのはそういわれると弱いですから。責任をとれといわれてもこちらもとりようがないので。こちらもあまり専門的な知識はないわけですから、それ以上は控えておこうかなという事になってしまうと。大体これで、1年生議員、2年生議員の言葉を封じ込めるのだなと次第にわかってきたのですが。 今日のこちらの最上小国川、それ自体は私は、はじめてお話を聞いたことですけれども、一般的に言えば、役所には、とにかく仕事をしたい。とにかくお金を使いたい。とにかく無駄であろうとも、役所にとってはきわめて有効なんですね。
 今、福島県では知事についに談合捜索の手がのびました。これはダム建設を巡る談合事件であります。ダム建設に限りませんが、官製談合というのがどのくらいの税金の無駄遣いを、この国に招いているかということ。私は選挙のたびによくいうんですが、ぐっさりいうと 年間これは10兆円ぐらいあるんじゃないんですか。というんですね。いくらなんでもそんなにはないだろうと多くの人はいうんですが。1年間に、国、地方、あるいは、道路公団といった関係団体がいろんなものを調達します。公共事業に限りません。細かく言えば公立学校の鉛筆一本までふくめて、それを全部「公共調達」という表現で合算しますと、毎年35、6兆円の金が国、公共団体等から民間へ支払われています。その多くは入札、随意契約でおこなわれているわけですが、よく入札談合がばれた後、価格が2割、3割と下がるのが一般的です。もし2割、高いもので買っているとすれば、36兆円の2割とすれば約7兆。3割高いものを買っているとすれば10兆円がですね、わざわざ高いものを買わされている。私は、日本の財政再建のスタートは、ここしかないという風にも一方では思っております。まそんなことで、公共事業だけではない分野にもこれは及んでおりますけれども公共事業もこの中の象徴的な部分だと思っております。
 だからといって、公共事業が全部いらないと言っているわけではありません。
 今、石垣島の飛行場が、いよいよ着工になりますが、あれは私が1年生議員の頃に、海を埋め立ててですね、珊瑚礁を埋め立ててつくるというのをいろんな人が反対して、最終的に陸にあげて工事をすることになりました。なぜ、海を埋め立てるのか、工事はよりたくさんお金がかかるんですね。しかし確か第3種飛行場というのは、予算はほとんどが国が出しますので県がだすのはゼロだ。と。そうすると県からすればなるべくたくさんの費用を使って工事をしたほうが、県の土木業にとっても経済的にプラスになるんだということも働くことになっていまして、ということを言っていますときりがないんでありまして、そういう点からやはり必要な公共事業は大いにやるべきだけれども、必要性については、一般的にいって、役所は、必要であるなしにかかわらず、やろうとするインセンティブがきわめて強いということを前提にして、チェックをしていく必要があるだろうと、このように思っています。 

天野礼子

五十嵐先生、さっき今本先生がですね、穴あきダムというのは、この小国川だけでいわれているんじゃなくて、通常のスタンダードなダムがあまりにも、田中康夫さんが脱ダム宣言をするなどして、できなくなったので、穴あきダムというのが考えられて、それがどこまでもいわれているんだということがありましたよね。で、今本先生からみればダムなんていうものがほとんどいらないようなものが、ただ、つくるためにつくられているんだ、というお考えも示されましたけれども、五十嵐先生はどのようにお考えになりますか。

五十嵐敬喜

さきほど、経歴の紹介もありましたが、私は公共事業の源について、いろんな角度から専門的に見て参りました。一つは弁護士として、いくつか訴訟というものをやりました。訴訟。三権分立の司法という立場で見てきました。それから、これは稀なことなんですが、菅さんというのは不思議な人でありまして、なぜ、不思議かといいますと、当時はじめてお目にかかったときには、社民連というのは、国会でいえば吹けば飛ぶような小さな政党だったけれども、なぜかですね法律をつくることについては野党の議員でありながら非常に熱心であったということです。
最大のエピソードはといえば、都市計画法改正問題ですけれども、議員法制局というところに通わないと法律ができないんですけれども、どうやったら法律ができるかなどということを菅さんと一緒におかげさまで勉強させていただきました。
 今、それが私の大学院のライフワークになっておりまして「法律」というとみんな解釈をやるんですけれども、いまとなっては東大や千葉大学でやっているんですけれども、日本ではじめて立法学というのをつくったという事です。

三番目は、先ほどもちょっと話がでておりました田中康夫さんの関係でですね。脱ダム審議会などにおいて、行政がどのようにダムをつくるということに関わるかということについて見て参りました。
 このように三権。司法、立法、行政のすべてが、どのように公共事業に関わっているかという事について見て参りました。

 いくつか、質問についてですが、つくづく感じることがあります。
一つは、公共事業というものは、一旦計画されたら、なかなか止まらない。やんばダムなどというものがありますが、これは五〇数年かかっても全く止まらない。時代がまるっきり変わっても止まらない。

 諫早湾についてもそもそも米が足りないから困ると、どうしても海を埋め立ててもつくらなければならない。という事を言って、米余りになっても止まらない。
 なんでこんな風に止まらないのだろう。ということです。

 二番目にいうのは、とにかく金がおそろしくかかるということです。今日は、何十億円とひさしぶりに人間らしい金額を聞いたなあと思いますが、たとえば、全国総合開発計画など、いくらだと思いますか?千兆円も超えると。八ツ場ダム計画など四千億円といっていますし、高速道路は何十兆円という、数字を見ているわけですけれども、最終的にはこれ、みんな税金で払うわけですけれども、一体なんで国民、こんな大きな金を、公共事業というものに払うんだろうかというのが二番目の驚きであります。

三番目の驚きは、ダムが一番、典型的な公共事業だと思うわけですが、最終的に使い物にならなくなるわけですね。つまり堆砂というものがおこってダムが詰まる。詰まってからどうしたらいいのか、誰も考えない。今まで随分、官僚と一緒に激論したりしてきたんですけれども、埋まって全く役にたたなかったらどうするんだ。と、いっても誰もそれに答えがないまま、つまり完全に、完全に 20世紀最大の産業廃棄物にダムは100%なりますよ。そのとき誰も責任とりますか。と。猪突猛進ずーっとこういっているということですね。

四番目の不思議は、こういうことがわかっていながら、なぜか、地元住民も自治体も、みんなこの公共事業にすがってきている。
 官僚だけが悪いだけではなくて、この最上小国川ダムの問題もたぶん地元の住民、自治体がやってくれというものだから、官僚側もやるということではないかということでして、
 こうした謎が実は立法、司法、行政 全部みてもまだ依然として結論ができておりません。

さきほど最上小国川ダムのスライドなどを見ながら、ダムって一体なんだろうと複雑な思いをもって、ふっと思ったことがあります。

 少し文明論でも勉強しないといけないと、立法、司法、行政論など、変えられないんじゃないか。と思って、あるところに隠遁しているんですけれども、そこのおやまを開祖した人が、実は一二〇〇年前にダムをつくりました。「満濃池(まんのういけ)」という香川県にあるダムをつくったのです。そのダムは、一二〇〇年間、ダムとして機能しております。毎年一回、そのダムの栓をとって水を放水する、これをゆるぬきというんですけれども、そのゆるぬきのシーンを見ていますと、村人みんなが、大喜びです。一二〇〇年、そういうことをやり続けているんですね。水と一緒に魚がずっといって、讃岐平野にどーっと水がはいっていく。生きているダムというのはあるんだな。という感じがありました。

それと比べると、なんだか、「穴あきダム」なんて、いかにもさもしいというか、つまらない。というか、何を考えているんだという感じがとにかくいたします。

もうひとつは、そこの管理を一二〇〇年間ずーっと農民が自治組織でやっていまして、やはり本当の公共事業というのは、そこの当事者達がずっとやり続けるし非常に大事に扱うし、千年も二千年もつかっていこうと考えているものだとうことを、香川の満濃池を見ておもったわけですけれども、それに比べると、今、何を考えているのだろうとあきれかえってみています。

一番重要なことは、しかしですね。どうやってなおしたらいいのかということについて、いろいろ裁判、行政、国会でもやってきたのですけれども、最近、ちょっと、小泉さん以降、民主党の元気のなさもあるかな。ありましてですね。どんどん抵抗勢力が最後の根絶やしにされようとしている感じがします。

田中康夫さんも落選しましたし。福島の知事。とかですね。和歌山県でも談合で、だいぶ知事室にも捜索がはいっているし、梶山さんも地方自治の旗手だった。
 もう一度、政治を市民の原点に直さないと、この日本が崩れ落ちてしまうかなあと思っておりまして、今日は私の故郷でありまして、最上小国川、確かに美しい川でありますので、今回やってきました。

天野礼子

菅直人さんは、ぜひ川辺川の事を思い出してほしいんですけれど、川辺川の問題では、農民の人たちが水がいるということでダム計画がおこなわれたのだけれども、ある時期から、農民の人たちが、自分たちが、推進の署名があげられたのだけれども、その推進の署名は、偽物で、死んでいる人の名前もはいっているんじゃないかということで、農水省を訴えて、農水省が裁判で負けましたよね。でその農水省が事業から撤退して、地元の相良村の村長さんが、自ら相良村は撤退するといって、にっちもさっちもいかないようになっているのに、国土交通省は、まだ止めようとしないし、あいかわらずやろうとしている。どうしたら国政の場で止めれますか。

菅直人

 大体、この二人と会うといつも、民主党は元気がないとか、菅直人もやらなきゃだめだ、と今日も言われるだろうとなかば覚悟をしてきたわけですが、決していいわけするわけではないですが、民主党がどうであるということを超えて、私はそうであるといっても公共事業に対する全体の見直しというのはかなり進んできているんじゃないかな。
 それは、田中康夫さんの一つの功績も含めてですね。最大の原因は財政が厳しいというなかで、さすがにこれまでのように、有り余るお金をですね、どこにでも使ってくれ、使ってくれというところまではいいにくくなってきたと、

それと、天野さんや皆さんの活動で、かなりチェックが厳しくなってきたという事だと思います。今日の話にもありましたように、私も川辺川、何度も足を運んびましたけれども、まさに、利水という面、農業用水だったり工業用水だったり、場合によっては都市用水であったり、とこの面が当初の見通しとは全く違ってきて、事実上もう水余り状況になっている。と、そこで国土交通省はなんとしても仕事をするためということで、利水ではなくて、治水という表現をしている。

 諫早湾は農林省の事業ですが、なぜ、農水省が治水をしなければならないのか、私はいまだにわかりませんが、あの諫早湾の干拓事業まで、治水という側面で押し切って今日まできているということです。

 で、どうすれば止まるのかといったことですが、もちろん、国政的な政権交代云々ということをいえば簡単なんですが、もう一つ別の言い方をすれば、つまりは、誰が、どの金でその予算を決めるかと。
 さきほど石垣島の例をあげましたが、もし沖縄県だけで、自分の持ち金で、飛行場をつくるとなったらばですね、もしかしたら、できるだけ安く、同じ効果のものをつくろうとして、わざわざ海を埋め立てないで、昔あった飛行場のあたりにはじめから計画することになったでしょうけれど、しかしお金がどうせただで来るということになると、県レベルでいうと国からお金が下りてくると言う発想ですから。どうぜただでくれるんだったら、できるだけ大きな事業をやろうと、いうかたちになる。これは多くの公共事業で見られる。さきほど申し上げた長野県の舗場事業でもそうだったと思います。
 民主党は、すべての補助金を辞めて、基本的には自治体の独立財源に移すべきだと。財源を含めて移すべきだと考えているわけですが、もしそうなれば、私は、金の使い方はかわってきているだろう。
 もうちょっと言えばですね。県レベルが一番難しいんですね一般に。若干語弊があるかもしれませんが、大体、県議会というのは、半分以上が土建屋さんの出身なり関係者が多いです。これも関係者だったらよくご存じのように、どうしても補助事業ですから、今のようにとなりの県にもっていかれるんだったら、こっちの方に持ってこいという構造ですよね。しかし、これが、県だけの予算になったら、もともと教育、福祉どうするんだ、子育てにどうするんだというところと本当に競い合うわけです。そんなに、県レベルだけで決めれれば、従来のようなかたちはできないと。県なり自治体の独自財源で決めるということと同時に、独自財源で決めるときには必ずしも土建という枠組みではなくて県民、市民の全体の関わりなかで、何に重点的にお金を使うのか、という観点から議論するような自治体の議会になる。また、予算が移ってしまえばそうなると思うのですが、そうなることが結果として、大きくこの問題を変える構造的な政党よりも一番おおきい構造はそこにあるのではないかなと思っております。

五十嵐敬喜

今、私は関西にいるんですけれども、関西で今、公共事業における一番典型的な事件がおきているんですね。栗東市でですね、新幹線をつくるかどうかといったことが、報道されているのでみなさんご存じと思いますけれども、これがまさに、非常にねじれのねじれを示している現代政治かなと思っているんですね。

承知のとおり、今、新しい女性知事さんが、新幹線駅を最大の争点に示して、「もったいない」という言葉で指示をえまして、県で知事になりました。しかし関係市町村の中で、栗東市長は、推進の立場でつくるといっておりまして、対立構造です。
 さきほど、司法の事をいいましたが、今までは、ほとんど、開かずの門だった。どうやっても勝てなかった公共事業の裁判について、非常に画期的な判決をだしたんですね。

それは何かといいますと、栗東市が整備新幹線をつくるにあたっては、借金をしなければいけない。自治体が借金するにあたっては、法律で厳しく限定されているのに、不当に拡大して使っているんで、違法であるということで借金の差し止めをした。つまり、裁判所がはじめて公共事業にのりだして金の使い方について、チェックしたということであります。
 でそれについて、多くのアンケートなどがおこなわれたのですが、おおよそ栗東市民の60%70%位は新幹線駅はいらないだろうという前提のもとで、改めて市長選挙がおこなわれたのですが、選挙の結果は、新幹線をつくるという市長が勝つと、いうことであります。

 その前に最終的に菅さんもいわれていたけれど、国民の側もですね、相当なことを考えないと、単に官僚が悪い、お金が悪い、裁判所が悪い、と、これだけ条件を与えても、なお、推進派が勝つということを考えると、そろそろ国民側の方もよっぽど深く物事を考えて、将来どうするかという事を考えないとだめだなあと、国民をどうするかという事も非常に大きな問題だなと私は思っています。

更に言いますと、誰がどう解決すればいいんでしょうか。
裁判所については、栗東市は控訴しまして、どっちかに決着がつくと思いますが、私の感じでは、判決の際、地方財政法というのを読むとですね。新幹線の地方債のわくをつかって発行することはだめだろうと、私はすなわちそう思います。
 最終的には、栗東市は一般的な税金からやらなきゃならないだろうと思うし、これを議会が通すだろうかということがありますが、またここがねじれておりまして、議会はかなり賛成派が多いので、議会は一般財源でもやれとなるんじゃないかという姿勢が見られる。県の方は自分たちの費用は払わないといっている。誰がどう解決するかわからないということになっています。

なぜ、こんなにもめるかといいますと、さきほど国民との関係、栗東市民との関係ですけれども。

新幹線駅をつくることの意味はですね。新幹線をとめる駅をつくることが目的ではなく、どうも新幹線の中心に展開される  を含む町の再開発ということに、たくさんの金が投じられて、ここにある種の利権が発生をしてですね、ここを見ないと、なかなか変えられない。
ここにいる人たちは途中事業を辞めることができなくなって推進されている。ということであります。
最終的には国民が決めるんですが戦後六〇年の間に国民の方もだいぶゆがんできちゃって、ダムとか新幹線そのものよりも、明日の仕事、通俗的にいえば、明日のお金を求めてですね、地元の企業が明日の賃金を求めて、公共事業を求める。と。になるもんですから、仮にそういう構造がある限り、予算を自治体にもどしたって、栗東市と同じ事がおこるんじゃないかと、最終的には国がどうするかということだと、私は思っています。

天野礼子

まもなく沖縄の知事選がありますよね。沖縄県では公共事業とバーターにしてですね、選挙が行われているという感じがするんです。先ほど五十嵐先生が、「日本は国民も悪い」と、私もそう感じています。ヨーロッパに都市にいきますとね。アジェンダがどうしたとか、地球温暖化とか、木質バイオマスだとか、諸々な政策を口にしています。いろんな事を考えていて、その辺を歩いている人がそうしたことを言っているのに、日本はあまりそうではなくて、小泉さんキャー、安部さんキャー という感じ。たとえば自治体の独自財源を民主党は支持しているんだということを皆さん知っていますか。

菅さんのところに応援にいったとき、 女の人のサラリーマンが立って、朝日新聞の一面を読んでいるんですよ。私は、あ、これが菅直人を応援している力、知性が高い。と思った。日本人をこうしたレベルに高めていくことが、菅さんたちの仕事なんじゃないかと思いますけれどもどうですかね。変な質問でしたね。

菅直人

まず、さきほど、五十嵐さんがいわれた栗東市なんですけれども反対派が二人でていたところもありまして、会わせると七割近い支持率だったのですが、結局票が割れて、そういう政党という言い方からもしれませんが、そういう方がやや、分かれたと。市民のとうからの意識はつくる必要がなかったということはあったんだと思います。
 それから、国民がとか、市民がということ云々は言い出せば、ここまでつまっているんですが、それをいっちゃ終わりの仕事を私もしているもんですから、あまりあえてですねいいませんけれども、我が家の家の中では、みのもんた民主主義だからしかたないかなと、あきらめていっているわけではないですが、つまりは、テレビという媒体をとおして、こう何か誰かが代わりにいってくれたという気分になって、国民、市民自身が自分のエネルギーを使ってですね、それこそ町にでてビラ一枚配るわけでもなくて、テレビを見ながら、ああそうだそうだといって終わっちゃっている。ということがやっぱりあるんだなと。そういう意味では、ある意味で一番深刻に考えていますけれども、私の立場がそのことをいうのも的確じゃないかなと思っています。

私は、状況はじわじわと変わっていると思っています。五十嵐さんの努力もあると思いますが、司法のレベルでもですね、ほとんどの行政訴訟というのは、門前払いないしは行政権の自主裁量ということで、まともな判決はだしてきませんでした。
 最近ではたとえば、反戦にかかわる裁判ですとか、c型肝炎についての裁判ですとか、あるいは、水俣の公害関係。そして公共事業、あるいは、これも五十嵐さんがやられた、国立市の建設に関するいろんな問題。かなり司法が前にでてきてくれるようになったと思います。

実は私と五十嵐さんが最初につくろうとした法律も、そうしたアメリカでは司法が中心になり、ドイツでは自治体の議会が承認しなければ、都市計画はOKされないということですね。自治体手動の都市計画というものを参考にしてきたわけですが、じわじわとだけれども、そういうものは進んできて、ですから、余り市民が何もしないということよりも、じわじわとは、そういうところは進んできていると、私は、冷静に見れば、そういう風に感じております。

 しかし残念ながら、これは私たちの大きな責任ですから、一番わかりやすい、国政レベルの政権交代が本質的にないもんですから、霞ヶ関のみなさんも、個人個人はかなりわかっているけれども、基本的なそのあり方、考え方をドラスチックに変えるということがですね。やっぱり現状維持、既得権益としてできないということになっていると思うんですね。ルールさえきちんと変えてしまえば、私は霞ヶ関の皆さんの行動は変わってくるだろうと。

 ちょっと余談になりますけれども、この何回かの予算委員会で、小泉さんや安部さんとやったときにですね。官製談合なんて、簡単にやめられるじゃないか。というとですね。どうやってやめられるんだと返されたので、「いやいや、その役所の人が天下りした企業には、次の日から発注はしないと、そういう風に、安部政権で宣言すればいいじゃないか、」といったんですが。

前の小泉さんのときも安部さんのときにもそれにはだまって返事をしないんですね。
 そうしてしまえば新しいルールの中で同じ予算をどのように効率に使えばいいか考える能力がある人はいる。しかしどうしても、天下り先をつくることがいまだにですね、役所のナンバー2あたりの官房長官の仕事の相当を占めている。これはもう公然たる秘密でもないことですが、そういう構造がのこっていることが、ものすごく大きないびつなところだと考えています。

そのところは政権交代で変えたいと思っていますが、
また、必ずしも政権交代でなくても変えようとさえ思えば、時の政権のトップが変えようとすれば変わることだと、そんな風に思っています。

天野礼子

この前、菅さんの選挙の応援にいったとき、みんなにキーワードをつくったんです。「官製談合に、一貫して、追求してきたのは菅直人」です。
かん、かん、かんとみんなで三回づつ繰り返していたのですが、

本当に、官製談合について、日本は経済的な意味からも考えていかないといけないということだと思います。そういう意味で、福島県の知事選挙は非常に問われているし、沖縄についても、いつまで公共事業で沖縄の自然を売っているんだという話だと思います。

菅直人

 沖縄のことも言われましたけれども、今の安部政権になっても、議論していて、非常に矛盾があるんですね。それは、まさに、国がたとえばいろいろと補助金をつけてあげますよ、交付金やいろんな措置をしてあげますよ。と沖縄は特別だからと、一方ではするわけですね。
 しかし一方では、三位一体とかで、財源を含めて地方に移すといっておいて、これは本質的に矛盾しているわけですから、これはやはり私たちの責任なのですが、この本質的な矛盾をもっと広く国民の皆さんにも理解してもらってですね。実はこれは真反対なんですね。国に権限があればあるほど、国に権限があればあるほど、いろんな恣意的な事ができると。

 沖縄の事でいえば、別の意味で沖縄県全体に対する財源措置はしていいかもしれないけれども、個別案件で補助金をつけるというかたちで選挙をやるというのは、そこは、非常に分権論と矛盾していると、このことは、しっかりと言っていかなきゃいけないと思っています。

五十嵐敬喜

安部政権の最大のスローガンは「美しい国へ」ということであります。
 さきほどの小国川のダムと考えてですね。あそこに災害防止のための穴あきダムをつくるのがいいか、温泉そのものを活性化させていくほうがいいか、ということを考えればですね、誰が見ても、「美しい国」という政策とすれば、穴あきダムではなくて、あそこの温泉街の再生なのだろうと思います。

 逆にあそこに穴あきダムをつくっても、ここからはちょっとこみあげるものがあるんですけれども、本当に赤倉温泉、残れますか? 端的に言って。
 後継者はいるんでしょうか。あの温泉が経済的にやっていけるんでしょうか。過疎地域をずっとまわってみると、高齢化の波が押し寄せてきて穴あきダムがあろうがなかろうが、ほろびていくような気配に感じます、それであれば、穴あきダム百何十億つかおうとしているわけですけれども、温泉街を再構築したほうがずっといい。なぜ、こうした政策転換ができないのか私は不思議でならない。

今回のは県の責任が非常に大きいなと思っています
なんでしゃにむに穴あきダムをつくって、いずれにしても穴開きダムができたとしてもこのままいけば、これ言うと申し訳ないんですが、だんだんと過疎地になっていく。そうしたところにダムをつくるのか、私は理解できないです、百何十億という莫大なお金ですからね。赤倉温泉に半分でもその金を投入すれば、立派な温泉街が再興できるんじゃないかと思うわけですが、そういう意味で言えば、安部さんの「美しい国」を聞いていると、だんだんだんだん、「危ない国」になっていくように感じられて、北朝鮮問題もあって、防衛予算を含めて、根本的にはそこをやらなければならないと思っています。

菅直人

 私からも少し積極的な提案というか、考え方を申し上げてみたいのですが、私も何度も川辺川ダム予定地に参りまして、五木村の村長にお会いしました。あそこには確か3万ヘクタールもの村の中に山があるわけですね。
 私のほうは、その山に対する、山の管理をするかたちでの公共事業をやったらどうですかという話をしましたら、村長さんは、建前は、川辺川ダム賛成でずっときてますから、いまさらダム反対とはいえない立場なのですけれども、本音としては、ダムなんかにはこだわらずに、山で仕事があり、川くだりの仕事があり、鮎釣りができるということであれば、そういう風なあり方のほうがいいんだけどな。ということが顔にありありと書いてあるわけですね。
 今、私は実は、民主党では、農林事業の再生本部というのをやっているんですが、特に林業の再生について、今年あるいは、来年のはじめまでには案をだしたいと考えております。あちこち、現場をみて、まだまだ勉強中でありますけれども、日本の国土の7割近くが森林で覆われて、これだけ雨の多いですね、ある意味で緑という意味では最も恵まれているところに住みながら、なんと、日本でつかわれる木材の七割以上は外材で、なんと倒伐で、どんどん切られているような木材が輸入されているわけです。
 少なくとも、山にある程度人がはいり、お金をつぎ込んでも、それがそれなりに成り立つ構造をどう造っていくのか。実は治水にしても、私は、実は、砂防ダムというのが理解できないのですけれども、その砂防会館というのが、どっかの派閥の事務所がそこにあるというのがまさに象徴的だと思いますけれども、つまりは、効果が評価できないけれども、お金がつかえるという象徴は、私は砂防ダムじゃないかと思うのですが、つまりはそういうものに対する、根本的に対峙する公共事業として、「成り立つ林業」というものをどのようにしたらつくれるかと。これはぜひ、そう遠くない時期に提案をまとめてみたい。

農業については、一定の提案をまとめたんですが、林業についてはもうちょっと難しいんですね。たぶんこのことがダムに対する、脱ダムをいわれている皆さんと共通ですが、わが党は、言葉だけは「緑のダム構想」というのはかなり早く出しているんですが、それを肉付けすることになるのかな。と。こうご期待とまではいいませんが、がんばりたいと思っています。

天野礼子

菅さん、私は、11月10日に、「“林業再生”最後の挑戦」という本を出すんですよ。それを読んで頂くとわかりますけれど、日本で今、一番必要とされているのは、林業の再生だと、日本の木をつかっていくことだと。いうようなところにダムに反対している私が到達したのです。森と川と海とがつながっていることの重要性が21世紀はいちばん必要とされているということだと思っています。
 今日は、本当に必要な公共事業をおこなうためにということで三人で話しをしてきましたけれども、菅直人さん、政治家としての菅さんの話をきいているとのやはり私たち市民に必要なことは、自分たち自身が望むものがほしいならばそれが必要なために戦ったり、ものを言ったり、考えたりしなければならないと言うことではないかなと思いました。

 今日はありがとうございました。